Turbosound History – ライブ・エンターテイメントと共に歩んだ成功への道
1970:出発点
ターボサウンドの物語は、非公式ながら、SR(サウンド・リインフォースメント)がまだトラック1台分のAC30と、かさばる大型の箱を壁のように積み上げていた時代に遡ります。Tony Andrews(トニー・アンドリュース)は、「ライブミュージックではバンドやレコードプロデューサーが聴いた通りの音を再現できるはずがない」という既成概念に本気で疑問を投げかけた人物です。
そして、グラストンベリー・フリーフェスティバル “Glastonbury Free Festivals”(後にTurbosoundの代表的なショーケースとなる)におけるエキサイティングな雰囲気も手伝って、その場で感じたインスピレーションから、その考えが間違っていることを実証するために行動を開始したのです。
当時のサウンド・リインフォースメント・デザイナーは「できるだけ小さなキャビネットから、最大限の音の広がりを持った優れた音質を実現する」という一見不可能に思える課題を抱えていました。
1973:ライブサウンドに変化をもたらしたTurbo phase device(フェイズ・デバイス)
トニー・アンドリュースがグラストンベリー・フェスティバルに参加したことがきっかけで、低域、中域、高域の独立したキャビネットで構成されるフェスティバル・システムが開発されました。このシステムには、すでに第2世代のTurbo phase device(フェイズ デバイス)が搭載されており、独特の細長いミサイルノーズコーン型の仕掛けがミッドレンジコーンドライバーの前に直接取り付けられ、エンクロージングホーンのほぼ全長に渡って突き出ています。
最初のTurbo Phaseデバイスは、1973年に12インチ・ドライバーと共に使用されたもので、その当時はダンボール・チューブ以外のデバイスの可能性は模索されていませんでした。
コンセプトは、マルチセルホーンのようなシステムを構築することでしたが、すべてのセルに電力を供給する必要がありました。このシステムは小規模のライブには大きすぎることがわかり、PA向け製品への参入を決定し、最終的にTMS-3につながったのですが、この初期のTurbo PhaseデバイスはTMS-3の10インチ・ミッドレンジに進化しています。
1978:Turbosound Ltd 創設
1978年、Tony AndrewsはTim Isaac(ティム・アイザック)と出会い、著名なサウンドエンジニアであるJohn Newsham(ジョン・ニューシャム)と手を組み、Turbosoundを設立しました。彼らは、これまでになかったスピーカーシステムの設計、製造、レンタルを開始しました。
同時に、Alan Wick(アラン・ウィック)とパートナーのMark Hardy(マーク・ハーディ)は、ロンドンのレンタルカンパニーのMuscle Music(マッスル ミュージック)の経営が順調な時期でした。1980年には、市場の需要に応えるため、ほとんどの機材をサブレンタルするようになり、その中でTurbosoundのシステムが彼らの目に留まりました。
1981年半ばには、両社は合併することのメリットを認め合い、設計とマーケティングの技術を結集して、Turbosoundグループ株式会社を設立しました。
合併の結果、大規模なライブ音楽イベントで真に優れた音質を提供するためには、他人のものを買うのではなく、一からスピーカーを設計する必要があると考え、設立間もない製造事業者が、最初のモジュール式フルレンジPAキャビネットであるTMS-3を含む(すぐにTMS 4, TMS-2, TMS-1 とTMS-5が続きました)画期的な製品の小さなポートフォリオを携えて登場しました。
すべての製品に10インチ・コーン型ミッドレンジ・ドライバーと特許取得のターボミッドデバイスという共通のモジュール構成要素を採用し、2ウェイから3ウェイへのクロスオーバーの変更と相まって、パワフルで明瞭なボーカル再生と顕著に高調波歪みの少ない音質を実現しました。
1980年代:世界的な高評価
Turbosoundは、世界的な成功を収めていたため、細部に至るまで特許を取得したTMS-3の設計を盗用したコピー製品が多く出回りました。
カナダでは訴訟の結果、ある会社のTMS-3のコピー品がチェーンソーで切断されるところが公開されました。
その後、TSEシリーズが発売されました。TMS-4を分割したTSE-111とTSE-118は、持ち運びが容易で、中高音をポールマウントして「pitchfork(ピッチフォーク)」フライングヨークで角度を付けることができることから、レンタルカンパニーでTMS-4に代わる人気商品となりました。
Turbosoundだけが、Turbosoundです。
その後、R&Dエンジニアが固定設備市場の様々な条件に適応するための可能性を見いだすと、TSE(セパレーテッド・エンクロージャー)シリーズのバリエーションが開発され、TSE-211(2 x 10インチ&1インチ)、TSE-115(シングル15インチ、ホーンロード・ベース)とTSE-215(デュアル15インチ、ホーンロード・ベース)、TSE-118(シングル18インチ、ホーンロード・ベース)とTSE-218(デュアル18インチ、ホーンロード・ベース)、TSE-260(V-2デバイスに1インチのコンプレッションドライバー2つを搭載したHF専用キャビネット)、TSW-124(完全に自社生産で世界初の24インチ、ホーンロード・サブベース)などが次々と発表されました。
1982:次世代のブリティッシュ・イノベーション
Turbosound Inc.はアメリカでの販売を実現するためにTurbosound Sales Ltd.が製品を製造し世界中に販売する体制を構築しました。アメリカ市場に早くから進出した背景には、「アメリカで成功すれば、どこでも成功する」という考え方があったためです。
1984年、ナッシュビルのカントリー・ミュージックの公開ライブ放送ラジオ番組Grand Ole Oprey(グランド・オール・オプリ)が、低域を増強し、よりクリアでパンチのあるサウンドを実現可能な新しい市販のサウンドシステムの導入を検討している際、Turbosound社の粘り強さが実を結びました。
カントリー・アーティストがより多くの入力とより高い忠実性を求めるようになったため、Opreyは将来にわたって彼らが必要なサウンドを提供できるシステムを求めていました。9台のTMS-1、7台のTMS-4、そしてバルコニーをカバーする2台のカスタムミッドハイで構成されるタイトアーク型スピーカークラスターは、急進的に進化するカントリー・ミュージックに後れを取らないシステムを提供しました。
このイベントにより、Turbosoundは50組以上のメジャーアーティストと、大勢の観客、そしてその要素に接することになりました。
実際TMS-3は、雨の日も晴れの日も、夏の間ずっと屋外に設置され、全天候型の耐久性が試されたのです。その結果、1983年のStyxのツアーで大型のTMS-3システムが使用され、その音質はマスコミからも大絶賛されました。ターボサウンドは、アメリカのSR(サウンド・リインフォースメント)業界において、圧倒的な存在感を示すようになりました。
Danny Abelson(ダニー・アベルソン)は、Alan Wick(アラン・ウィック)に誘われてTurbosound社のシステムを試聴した後、Sales and Marketingの副社長として入社しました。この時の試聴によって、彼のSR(サウンド・リインフォースメント)に対する考え方が変わりました。
1982年春、アメリカで最初の販売が行われ、Clair Brothers社がニューヨークで夏に開催される「Dr Pepper Music Festival」用に16台のTMS-3を選定したことに注目が集まりました。
1985年、Michael O’Flynn(マイケル・オフリン)は取締役会長としてTurbosoundに加わりました。彼の幅広い経営、法律、財務の経験は、次々と主要特許の取得や 栄誉ある賞の受賞につながりました。
1986:共同開発
1986年、TurbosoundとBSS AudioはEdge Technology Group(以下、Edge Tech)を設立し、その1年後にPrecision Device社が生み出されました。シグナル・チェーンのクオリティに重要な影響を与える可能性が現実のものとなりました。
Precision Deviceは、Turbosoundの設計者と共同で、Turbosoundの厳しい基準を満たすハイスペックなドライブ・ユニットを独占的に製造し、後にOEMサプライヤーとして知られるようになります。またBSS Audio社は、Midasの元デザイナーのStan GouldとChas Brookeが設計したクロスオーバーとスピーカーマネージメントシステムで高い評価を得ています。そして、Alan Wick(アラン・ウィック)社長のもと、特徴的な青色のキャビネットのTurbosoundスピーカーブランドが誕生しました。
1986年の初回のEdge Tech販売代理店ミーティングまでに、Turbosoundは特許取得済みの10インチTurboMidデバイスをフルに活用した一連の製品ラインを拡大し、イギリスと海外の主要な施設において素晴らしい実績を残してきました。
TSEシステムはNew YorkのApollo Theatre(アポロ・シアター)、Carnegie Hall(カーネギーホール)、Hard Rock Café(ハードロックカフェ)、フロリダTampaのBusch Gardens(ブッシュガーデン)、ウィーンのThe Metropole(メトロポール)、ロンドンのDingwalls Club(ディングウォール クラブ)、ポーツマスのThe Portsmouth Guildhall(ポーツマス ギルドホール)、ランカシャーのWinter Gardens Blackpool(ウィンター ガーデン ブラックプール)、オランダ ロッテルダムのRotterdam Theatre(ロッテルダム シアター)、日本では国立京都国際会館、東京プリンスホテルなど様々な会場で採用され、固定設備の定番となりました。
1987:ターボサウンドが「Queen’s Awards」(女王賞)を受賞
TMS-3は、わずか数年の間に世界最大の販売台数を誇るモジュラー型フルレンジPAキャビネットとなり、3,000台以上が使用され、世界中の大手レンタルカンパニーに大規模なシステムが導入されました。
1987年には、イギリスのプロフェッショナルスピーカーメーカーとして初めてQueen’s Award for Export Achievement(輸出に関する功績に対して贈られる賞)を受賞し、1997年には同分野で再びこの栄誉を手にした唯一の企業です。
オーストラリアのBrisbane(ブリスベン)で開催されたExpo’88は、それまでTurbosoundが関わってきた数多くのスペシャルイベントの中でも最もバラエティに富んだイベントとなりました。5会場のSRシステムと1つの移動式システムで6ヶ月に及ぶイベントは、 QueenslandのTurbosoundディーラーにとって挑戦であり、TMS-3/TSW-124、TMS-4、TSEクラスターを使用した数多くのシステムを半年間、週7日休まず稼働させました。
また、TMSとTSEシリーズは、1988年にロンドンのOlympia(オリンピア)で開催されたLight and Sound Show(PLASA Showの前身)でDisco International Annual Award of ‘Best Loudspeakers’を受賞し、ディスコに影響を受けた時代を象徴するような製品として市場に浸透していきました。
10年が経ち、TMS-3はそのライフサイクルが近づき、次世代の製品開発が順調に進む中、合計360台のTurbosoundキャビネットは、523,000ワットのパワーを提供し、Iron Maiden(アイアン・メイデン)がヘッドライナーを務めた1988年のイギリスのDonington Park(ドニントン・パーク)でのMonsters of Rock Festivalでは、史上最大のFOH PAとして記録され、この統計は1989年にギネスブックに認定されることになりました。TMS-3は、7〜10年という一般的な製品寿命をしのぎ、後に特許取得のV-2マニホールドHFデバイスなどのアップグレードにより、90年代に入ってもイギリスのレイヴシーンの厳しい環境で支持を受け続けました。
1990:新たな始まり
新しいコンセプトが生み出され、世界中に旋風を巻き起こすことになった、新しいTurbosound System(コードネームUHQ:Ultra High-Q)は、これまで以上に指向性が鋭く、高効率で、より高い音質のボックスへと進化しました。コンセプト的には、70年代半ばのフェスティバル・システムのモジュラーデザインを回帰したもので、このシステムによってTurbosoundの新しい物語が始まりました。
Roger Waters(ロジャー・ウォーターズ)は、1980年代初めに行われたPink Floydの「The Wall」コンサート終了後のインタビューで、「The Wall」を再び演奏することはあるかと?という質問に対し、「ベルリンの壁が崩壊しない限り、絶対にない」と答えたそうです。
その歴史的なコンサートは、TurbosoundのプロトタイプUHQシステム(極めて狭い指向性と放射特性から当時FLASHLIGHTとして知られていた)として初めての公演となりました。
FLASHLIGHTは、Britannia Row Productions社(ブリタニア・ロウ プロダクション)との共同開発により、Depeche Mode, Dire Straits, Cliff Richard, Simply Red, The Cure, Oasis, Robbie Williams, Peter Gabriel, Pink Floydのツアーで使用されるシステムとして急成長を遂げました。
FLASHLIGHTはレンタルカンパニーのネットワークによってアメリカからヨーロッパ、東アジア、そして日本やオーストラリアをはじめ世界中に広がっていきました。すべてのシステムは同じサイズの3WayMid / HighエンクロージャーとSubBassエンクロージャー、フル装備のアンプラック、ラウドスピーカーマネージメントシステム、すべての付属ケーブルとフライングハードウェアからなるシンプルなコンセプトに基づいており、プロダクション側の不確定要素をすべて取り除いた状態でアリーナサイズのPAシステムを組み、常に高いパフォーマンスを実現することによって世界のコンサートツアーをスムーズに開催することができるシステムとして広く認知されました。
1992年6月、The CureはJon LemonをFOHに迎えて大規模なワールドツアーを行いました。最初の大規模なアメリカ公演は60,000人収容のダラスのTexas Stadiumで開催されました。
その時地元のスタッフはBritannia Rowの48ペアのFLASHLIGHT PAとわずかなディレイタワーに対して、”きっとこれだけではないのだろう “と半信半疑の反応を示していました。しかし、Jon Lemonがサウンドチェックを始めると、疑問は一転して歓声に変わりました。BRPのBryan Grantによると、スタジアムの至る所でカバレージが非常に良好だったため、その後のライブではTMS-3のサイドフィルと小型のFLASHLIGHTディレイシステムを使用しないこととなりましたが、その代わりに小型のV-2ロードHFエンクロージャーをミックスライザーの後ろに配置し、高域を補強することでシステムを組みなおしました。
このコンセプトは、後に「The Lemon」と名付けられたHF専用のFLASHLIGHTキャビネットの発想の源となり、FLASHLIGHTのクラスターの最上段に、あるいは単独でHFの補強として使用されました。
その年の夏、赤の広場では、クラシック、フォーク、ユーロポップ、ロックンロールなど様々なジャンルのマルチバンドによる史上初のロックフェスティバルが開催されました。モスクワのOrion Service社は、72ペアの大型FLASHLIGHTシステムに投資し、税関から赤の広場に直送されました。ショーの朝、到着したTurbosoundのクルーは、PAがほぼ完璧にリギングされ、わずかな角度調整しか必要ない状態だったことに驚きを隠せない様子でした。
FLOODLIGHT(フラッドライト) – より広範囲のオーディエンスへ
小規模な会場ではFLASHLIGHTのナロービーム、ロングスローのPAでは限界があることが分かり、TMS-3に代わる新たな製品ファミリーを生み出すことになりました。
FLASHLIGHTと同じ外観を持ち、共通のフライングシステムを持つ公拡散のFLOODLIGHTは、ダウンフィルとしてクラスターの下に設置した場合、同じドライバー構成とクロスオーバーポイントを使用することで同じ音質を維持しながら、より低い音圧で近距離の観客席へ対応する手段を提供しました。
FLOODLIGHTは、TMS-3やFLASHLIGHTでおなじみの丸いノーズ・コーンを、音響的に影響を与えない樹脂で成形された広く角のあるウェーブガイドに搭載された、大胆な外観の「axehead(斧の刃部分)」形状へと変化させたことによって、大きな技術的進歩を遂げました。
そして、これまでの成功体験にとらわれずに生みだした製品の典型的な例といえるのが、小規模な単独なツアー用として使用を想定した「台形型のFLOODLIGHT」や、木製キャビネットがスピーカーの音響性能に影響を与えないという事実に基づいて実現した「スケルトンタイプのFLOODLIGHT」です。一般的なナイトクラブでは吊りさげて設置できる箇所が限られるため、物理的な保護のためのエンクロージャー(木製キャビネット)を省くことで重量とコストの面で大きなメリットを提供することが出来るようになりました。
FLASHLIGHTから引き継がれたのは、関連会社のPrecision Devices社が特別に製作したコーン型ドライバーでした。特に21インチ・バス・ドライバーは、スピード感と低域拡張が理想的にブレンドされ、その形式や性能だけでなく、設計や製造品質においても独特なものでした。6.5インチのミッドレンジ・ドライバーは、窓のない斬新なシャーシー構造で、社内品質管理のもとで高い精度で製造されました。
1994:コンサートの主役
1994年春、Pink Floydが特別なワールドツアーの準備をしているとき、FLASHLIGHTはEAWのKF850とMartin AudioのF2システムを抑えて、Live! AwardsのベストコンサートPAシステムに選ばれました。
しかし、Britannia RowとPink Floydの契約を成立させたのは、パフォーマンスの他に、経済的なメリットもあったのです。Chris Hey氏の「Small is beautiful」戦略は、輸送コストの削減(通常5台のトラックに対して3台のトラック)、クルーコストの削減、鋼材の削減、そして吊り込みにかかる時間の短縮によって明確に示されました。
この伝説的なPink Floydの「Division Bell」のツアーは、今日まで記憶に残るライブステージの最高峰となりました。当時のアメリカの新聞報道では、Pink Floydが使用したサウンドシステムは、「オーディオの忠実度をそれまで聞いたことのないレベルにまで引き上げた」として賞賛しています。その報告によると、「サウンドこそが主役であったかもしれない」と書かれています。
Glastonbury FestivalとTurbosoundの関わりはもちろん歴史的に有名で、2002年までピラミッドステージのPAを担当し、周辺地域からの騒音苦情がなかった最後の年だったと言われています。その理由はとてもシンプルで、風向きが変わったり、夕方に気温の変化が起こった場合、FLASHLIGHT PA の最上段をトリミングしてクラスターの指向性を調整するという、ラインアレイでは簡単にはできない芸当をすることができたからです。
2000:Polyhornの誕生
2000年に入り、Turbosoundのエンジニアは、ラインアレイのような、よく知られた手法を取り入れるのではなく、大型ツアー用システムの改良に着手しました。バーチャルポイントソース(VPS)とラインアレイの両方がSRの有効な手段として考えられていましたが、VPSの大きな利点は、水平面と垂直面の両方でクラスターの指向性をコントロールすることができるという点です。
2005:Aspect – 求められていた製品
Polyhornの誕生
2005年のGlastonbury Festivalでは、South West Audioが若手アーティストを紹介するJohn Peel StageでASPECTを採用しました。
David Glimour(デヴィッド・ギルモア)のライブサウンドエンジニアのColin NorfieldがTurbosoundの工場を訪れた際、FLASHLIGHTやFLOODLIGHTとASPECTを比較し、細部にわたる明瞭度が2006年のGilmourの「On An Island」ツアーに最適であると判断しました。その結果、ギルモアはツアーの最後の数日間をRoyal Albert Hall(ロイヤル・アルバート・ホール)で、Britannia Rowが供給したASPECT TA-890のセンタークラスターを使用して締めくくりました。
Norfield氏によると、「全体を通してとてもスムーズでバランスが取れていたよ。」とコメントを残しています。
デンマークのRoskilde Festival(ロスキレ フェスティバル)は、1971年から休むことなく開催されているヨーロッパ最大級の音楽フェスティバルで、DPA Sound Coはその創設以来、一貫してTurbosoundのサウンドシステムを採用しています。2006年のフェスティバルは天候にも恵まれて過去最高の79,000人を超える来場者を記録しました。アーティストには、Bob Dylan, Roger Waters, Guns and Roses, Morrissey, Franz Ferdinand, Kanye West, Arctic Monkeys, Sigur Ros, The Streetsなどが名を連ね、ASPECT PAは、48台のMid / High、64台のベースキャビネット、16台のTSW- 218のサブを使用して、最大103 dBもの出力でありながらも明瞭度の高い音質で会場を盛り上げました。
デンマークでは野外コンサートに対して騒音規制はありませんが、このフェスティバルではASPECTポイントソースシステムの非常に高い指向特性を活かしてスピーカーを高い位置に吊り下げ、下向きすることで会場外の騒音レベルをより低く保つことができました。
ASPECTとPOLYHORNに続いて、新たなWaveguideの開発が実を結びつつありました。それは、コンプレッショッン・ドライバーのダイヤフラムからの出力を等しく2つに分割し、さらに2つに分割を繰り返しすることで、中心付近の軌道をより極端に曲げることで、ドライバーの配置と音響中心を一致させることができるというものです。
Turbosoundが第3回Queen’s Awardを受賞
2007年当時、PAマーケットは地域のローカルなレンタルカンパニーでも取り扱える中規模のTurbosoundシステムが求められていました。その時期、TurbosoundはPOLYHORNを分割してその間に、Dendritic(枝分れした樹木のようになった形)装置を配置することで、ワイドまたはミディアムの水平指向性をコントロール可能な、ポイントソースと同等のサウンドを持つ優れたラインアレイを製作しました。その結果、Turbosoundはラインアレイ市場に遅れて参加しましたが、POLYHORNとDendriticは、FLEX ARRAYを飛躍的に押し上げた技術的進歩をもたらし、その音響技術により、2012年に3回目のQueen’s Awards(女王賞、今回はイノベーション賞)を受賞しました。
2008年、Turbosoundは、カフェ、ワインバー、レストラン、テーマパーク、レジャー施設、小売店などの商業施設に、多目的に利用できる洗練されたなスタイルの射出成型スピーカーと目立たない高性能シーリングスピーカーを販売開始しました。壁掛け型のIMPACTシリーズは、優れたオーディオパフォーマンス、モダンなスタイル、伝説的なターボサウンドのサウンドと、長期運用に対しての信頼性を提供します。70V/100Vのライントランスを内蔵し、壁掛け用ブラケットを付属したIMPACTシリーズは、汎用性の高い4チャンネルアンプRACKDP-50とともに、大小さまざまなプロジェクトに対応し、非常に簡単に設置できるパッケージとして販売されました。
2013:Turbosound最大の導入事例
2013年、FLEXARRAYをはじめとし、TCSやNuQシリーズなどのTurbosoundラウドスピーカーが、世界最大級のそして間違いなく最も高級なナイトクラブに導入されました。
ラスベガスのMGMグランドビルの5階全体を占めるHakkasanは、Turbosoundが手がけたナイトクラブの中で最も大きな施設であり、合計約450台のスピーカー、アンプ、スピーカーマネージメントシステムが導入されました。この実績の結果、他のマーケットに対しても多くの提案が開始されることとなりました。
1981年にマルチドライバーPAシステムが登場し、TMS-3が飛躍的な性能向上を実現して以来、プロ用ラウドスピーカーへの要求は、より小さく、速く、軽く、大きく、きれいに、と容赦なく突き進んでいます。POLYHORNとDendriticの継続的な開発により、ウェーブガイドテクノロジーのツールボックスが提供され、「Turbosound」の大規模ラインアレイの実現に向けた自然な流れが始まりました。
4つの周波数帯に分散した11台のドライブユニット、きわめて急峻なクロスオーバー・スロープ、ボーカル周波数から5kHzまで対応するコーンドライバー、LakeプロセッシングとDanteネットワークを内蔵した4チャンネル専用パワーアンプ、完全に統合されたフライウェア、そして「極上のサウンド」。FLASHLINEは、多くの点でFestival Systemで開発された初期のコンセプトを再確認し、未来への回帰を果たしたのです。
Alanis Morissette(アラニス・モリセット)、Emile Sande(エミリー・サンデー)からYoung Voicesフェスティバルなど、数々のフェスティバルやツアーで実績を上げていたFLASHLINEは、再びライブサウンドにおけるSRマーケットの垣根を取り払うべく新たな体制を整えました。
2012年、TurbosoundのMILANシリーズがポータブルマーケットで爆発的な人気を得ました。MILANシリーズは、ミュージシャンやDJ、店舗などのAV機器として最適なスタイリッシュなパワードラウドスピーカーで、業界最高水準のDSPを搭載し、圧倒的なパフォーマンスを実現しました。MILANシリーズは、高効率のClass Dアンプ、Klark TeknikのDSP、マイクとライン入力を備えた2チャンネルミキサー、EQを搭載し、より多くの市場でターボサウンドの革新性を示しました。
2016 FLASHLINEの新しいメンバー
TurbosoundはFrashlineシリーズに続いて、2ウェイフルレンジの、パッシブ / バイアンプ切替可能な1400Wの12インチ/15インチのウェッジモニターTFMシリーズを発表します。スピーカーの設計、製造において世界的に高い評価を受けている同社は伝統を引き継ぐカスタム設計のドライバーを採用しています。
また、2500W出力を誇るClass-Dアンプを搭載したパワードモデル(-AN)ではKlark Teknik社のDSP、Dynamic EQやリミッターを搭載したモデルを発表しました。Turbosoundのスピーカー、コントロール機器、アンプシステムのラインナップに共通する目的はただ一つ、あらゆる用途に最適なソリューションを提供することです。
2019:未来へ向けた Turbosound Manchesterシリーズの販売開始
Turbosound開発チームが5年の歳月をかけ、グループ会社のlakeプロセッサー内蔵のパワーアンプLab.gruppen PLM+ / Dシリーズを採用した全く新しいSRスピーカーシステムManchesterシリ―ズを発表しました。
Manchesterシリ―ズはリーダーのChris Hinds(クリス ハインズ)、プロダクトマネージャーのHoward Smart(ハワード スマート)、アプリケーションスペシャリストのRemo Orsoni(レモ オルソーニ)の3名が中心となって開発が進められてきました。
Manchesterシリーズはボーカル帯域に重点をおいた音作りを目指し、同軸コンプレッションドライバーを採用、垂直面においては新たに開発したDendritic Plane Wave Transformer(DPWT)にて400 Hz ~ 20 kHzの周波数帯域をコントロールし、最大117dBの出力を実現させることに成功しました。
Manchesterシリーズの特徴は優れたフェイズレスポンスにあります。通常のスピーカーマネージメントシステムを使用すると位相がずれてしまうことが問題となっていましたが、Lake社が持つ技術でそれを補うことができました。
Lakeプロセッサーに搭載されている「Module Output Mixing」を使用することで、ネットワークの直前まで完全な3Wayとして、ロー / ミッド / ハイそれぞれの独立したプロセッシングをおこない、Lakeプロセッサー内でミッドとハイをサミングして1つのパワーアンプモジュールに送ることによって、3Wayのシステムをバイアンプで駆動することを実現しています。
当初はLakeプロセッサー以外のスピーカーマネージメントシステムでサミングをおこなっていましたが、位相がどうしても崩れてしまうため、Lakeチームとの協同でこの問題に向かい時間を使いました。
Module Output Mixing(MOM)の恩恵はそれ以外にもLakeプロセッサーで利用できるFIR3フィルターとオールパスフィルターを各帯域で使用できたことで他のシステムでは解決できなかった問題をクリアしてくれました。
現在も日々ユーザーの声を聞きながら新しい製品を開発しています。
Turbosound
Turbosoundは40年以上にわたり、ハイエンド・プロフェッショナル・オーディオの世界で、数々の賞を受賞するイノベーションとリーダーシップを発揮し、ライブ産業を形成し、発展させる画期的な製品を生み出してきました。このような業績を達成できたのは、長年に渡る素晴らしい従業員全員の揺るぎないサポートがあったからこそです。
このTurbosoundヒストリーページを従業員の皆さんに捧げます。ターボサウンドを業界標準となる世界的なブランドにしたのは、皆さんです。言葉では言い表せないほどの献身的な努力、心意気、そして貢献があったのだと思います。
また、40年以上にわたって私たちを支えてくださったパートナー、お客様、サウンドエンジニア、ミュージシャン、そして多くの友人たちに感謝します。これは共に歩んできた素晴らしい旅であり、次の40年が私たちをどこへ連れて行ってくれるのか、待ち遠しい限りです。ありがとうございました。